2013年12月26日
日要上人500遠忌 記念事業
悪霊を鎮め、祈りを込めた要石は
半世紀のときを超えた今もここにあり
偉人の功績を称えるとともに
愛する土地を守り抜く意志は受け継がれ
美しい華となって咲き誇ります
『日要上人500遠忌 記念事業』
今年は、室町時代を代表する名僧「日要」の没後500年にあたります。
日要とは、細島出身で、日蓮宗本山妙本寺の第十一代座主となった偉人。「的祈念」と呼ばれる細島の年中行事の元となった伝承にちなんだ人物でもあります。
細島の人たちは日要の功績を誇りとして代々守り伝えてきましたが、今回の500遠忌にあたり、宗教や宗派を超えて細島の町をあげた記念行事を行います。
初となる「お万灯行列」は、九州内でも数ケ所でしか行われていないらしく、貴重な機会となりそうです。また、法要や餅まきが行われるほか、鉾島神社・観音寺・妙国寺で、限定の記念札が配布されるということです。
お万灯行列とは、桜の花の装飾を施した灯籠提灯に纏(まとい)、団扇太鼓、鉦、笛で構成された講中が練り歩くというもの。元々日蓮上人の命日に行われる行事・御会式の中で行われていたもので、日蓮上人が亡くなった際に季節外れの花が咲いたという故事に由来しているそうです。
日時:
平成25年12月15日(日) 12~16時
場所:
日向市細島妙国寺、御開山(本要寺跡)、他
行程:
12:00~ 万灯行列
(妙国寺⇒庄手向・八坂・地蔵⇒妙国寺)
13:30~ 妙国寺での法要及び境内にて万灯講、味噌汁の振舞い
14:30~ 万灯行列
(妙国寺⇒八幡・高々谷・宮の上・伊勢⇒御開山)
15:00~ 御開山での法要及び餅まき
15:30~ 万灯行列
(御開山⇒妙国寺)
●日要について
日要は永享8年(1436)、細島に生まれ、幼少のころから法華経を学びました。
延徳元年(1489)には安房国(千葉県)、日蓮宗本山妙本寺(現在の保田妙本寺)の第十一代座主となりました。
勤皇家としても知られ、当時朝廷に謁見することが許された数少ない人物のひとりでもあったということです。
晩年日向に帰国してからは、細島で近郷住人の教化に努め、永世十一年(1514)に79歳で亡くなりました。
本要寺跡「南無妙法蓮華経」と題目を刻んだ自然石が、日要の墓です。
●的祈念について
文明18年(1486)、日知屋城主であった伊東祐邑が、本家の乗っ取りを企てているという噂が広がり、都於郡の伊東本家から送られた刺客に斬殺されるという事件が発生しました。
ところが、その後伊東本家では、病で苦しみ亡くなるもが出たり、刺客を送り込んだ家臣も切腹に追い込まれるなど不幸が続きます。さらに、夜な夜な白馬にまたがった祐邑の亡霊が細島のまちで暴れ、細島では疫病が流行りました。
これを鎮めるため、日要は鬼面を拵え、伊太郎と伊次郎の兄弟に、これに向けて弓矢を射させました。そして日要は経石を海に沈め、以後、亡霊が出ることはなくなり、的祈念祭として現在まで受け継がれています。
<主宰>
日要上人500遠忌奉賛会
僧日要上人500遠忌実行委員会

半世紀のときを超えた今もここにあり
偉人の功績を称えるとともに
愛する土地を守り抜く意志は受け継がれ
美しい華となって咲き誇ります
『日要上人500遠忌 記念事業』
今年は、室町時代を代表する名僧「日要」の没後500年にあたります。
日要とは、細島出身で、日蓮宗本山妙本寺の第十一代座主となった偉人。「的祈念」と呼ばれる細島の年中行事の元となった伝承にちなんだ人物でもあります。
細島の人たちは日要の功績を誇りとして代々守り伝えてきましたが、今回の500遠忌にあたり、宗教や宗派を超えて細島の町をあげた記念行事を行います。
初となる「お万灯行列」は、九州内でも数ケ所でしか行われていないらしく、貴重な機会となりそうです。また、法要や餅まきが行われるほか、鉾島神社・観音寺・妙国寺で、限定の記念札が配布されるということです。
お万灯行列とは、桜の花の装飾を施した灯籠提灯に纏(まとい)、団扇太鼓、鉦、笛で構成された講中が練り歩くというもの。元々日蓮上人の命日に行われる行事・御会式の中で行われていたもので、日蓮上人が亡くなった際に季節外れの花が咲いたという故事に由来しているそうです。
日時:
平成25年12月15日(日) 12~16時
場所:
日向市細島妙国寺、御開山(本要寺跡)、他
行程:
12:00~ 万灯行列
(妙国寺⇒庄手向・八坂・地蔵⇒妙国寺)
13:30~ 妙国寺での法要及び境内にて万灯講、味噌汁の振舞い
14:30~ 万灯行列
(妙国寺⇒八幡・高々谷・宮の上・伊勢⇒御開山)
15:00~ 御開山での法要及び餅まき
15:30~ 万灯行列
(御開山⇒妙国寺)
●日要について
日要は永享8年(1436)、細島に生まれ、幼少のころから法華経を学びました。
延徳元年(1489)には安房国(千葉県)、日蓮宗本山妙本寺(現在の保田妙本寺)の第十一代座主となりました。
勤皇家としても知られ、当時朝廷に謁見することが許された数少ない人物のひとりでもあったということです。
晩年日向に帰国してからは、細島で近郷住人の教化に努め、永世十一年(1514)に79歳で亡くなりました。
本要寺跡「南無妙法蓮華経」と題目を刻んだ自然石が、日要の墓です。
●的祈念について
文明18年(1486)、日知屋城主であった伊東祐邑が、本家の乗っ取りを企てているという噂が広がり、都於郡の伊東本家から送られた刺客に斬殺されるという事件が発生しました。
ところが、その後伊東本家では、病で苦しみ亡くなるもが出たり、刺客を送り込んだ家臣も切腹に追い込まれるなど不幸が続きます。さらに、夜な夜な白馬にまたがった祐邑の亡霊が細島のまちで暴れ、細島では疫病が流行りました。
これを鎮めるため、日要は鬼面を拵え、伊太郎と伊次郎の兄弟に、これに向けて弓矢を射させました。そして日要は経石を海に沈め、以後、亡霊が出ることはなくなり、的祈念祭として現在まで受け継がれています。
<主宰>
日要上人500遠忌奉賛会
僧日要上人500遠忌実行委員会

Posted by カワノ at 11:29│Comments(0)
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