2013年11月07日
ラピタ
ちょっと更新が途絶えてしまいました。。先日の古代勉強会からもう一つ。
“巨石文化”を伝えていったのは、海洋民族だとされています。
海洋民族の一つ「ラピタ」は、本格的な航海技術をもって、河岸神殿を建てながら環太平洋をめぐっていきました。
その碑に記されていたのが「ス・メラ」という文字だそうです。
(「カムヤマトイワレヒコスメラミコト」のように、スメラとは天皇につけて敬意を示す接頭語)
さて、その海洋民族にとって“水”は大変貴重なものなので必ず押さえていました。
その方法とは、海から“ピラミッド”=山を見つける。そして河口の砂から地質を調べる。
古代の民は、水を枯らさないためには森が大切だということを知っていて、そのためにお宮を建てていったとのことです。
しかし今は道路を建設したりして、水取場と頂上が断絶されてしまっていたりするのですが…
ちなみに古代人たちが目指した、死の海を渡った先にある、水が絶えることのない、不老不死の水があると言われる「東海の蓬莱山」とは日本のことではないかと、古代巨石文化・ペトログリフ研究家の武内一忠さんは仰っています。
写真は、以前にお舟出クルーズで撮影した、日向のピラミッド・米の山。標高192mとそれほど高い山ではないのに、住民の人の記憶では、どんなに雨が少なくても水が枯れたことはないそうです。ここも古代人の水取場の目印だったかもしれませんね。

“巨石文化”を伝えていったのは、海洋民族だとされています。
海洋民族の一つ「ラピタ」は、本格的な航海技術をもって、河岸神殿を建てながら環太平洋をめぐっていきました。
その碑に記されていたのが「ス・メラ」という文字だそうです。
(「カムヤマトイワレヒコスメラミコト」のように、スメラとは天皇につけて敬意を示す接頭語)
さて、その海洋民族にとって“水”は大変貴重なものなので必ず押さえていました。
その方法とは、海から“ピラミッド”=山を見つける。そして河口の砂から地質を調べる。
古代の民は、水を枯らさないためには森が大切だということを知っていて、そのためにお宮を建てていったとのことです。
しかし今は道路を建設したりして、水取場と頂上が断絶されてしまっていたりするのですが…
ちなみに古代人たちが目指した、死の海を渡った先にある、水が絶えることのない、不老不死の水があると言われる「東海の蓬莱山」とは日本のことではないかと、古代巨石文化・ペトログリフ研究家の武内一忠さんは仰っています。
写真は、以前にお舟出クルーズで撮影した、日向のピラミッド・米の山。標高192mとそれほど高い山ではないのに、住民の人の記憶では、どんなに雨が少なくても水が枯れたことはないそうです。ここも古代人の水取場の目印だったかもしれませんね。
Posted by カワノ at 09:55│Comments(0)
│日向岬・市街地周辺