2013年08月03日
大御神社・龍神伝説 その二
龍の玉(ドラゴンボール)が発見された際の秘話。
境内拡張造成工事の後に見つかった神座(さざれ石)のそばで、いつも水がちょろちょろ流れ込み、泥がたまっている場所があったそうです。
新名宮司はこの場所が気になっていて、いつか堀ってみようと思っていましたが、いつも水浸しなので長年そのままになっていました。
しかし平成23年、正月から4月まで雨が一滴も降らず、完全に乾いた時がありました。それで今が機会だと、4月12日から14日の3日間をかけて掘り起こしてみました。
すると中から、長径1m・短径75㎝の卵型の大きな岩が出てきました。下の方に手を突っ込んでみると、どうやら球状になっている。取り出そうにも取り出せない(重さ推定1t)。一体これは何じゃろかい?と。
地質学的には甌穴と言われるものですが、側面には意図的に掘られたではないかと思われる渦巻き状のらせんがあります。
NPO法人「日本巨石文化研究所」の武内一忠氏によれば、丸石は“龍の卵”、貯まった水は“羊水”、すなわち龍神信仰の表れであるとのこと。
これが龍神伝説のはじまり。宮司が2頭の白龍を見た10年後の出来事です。
今は泥が取り除かれ、水の中に龍の玉が眠っていますが、このどこからかしみ出してきて甌穴に注がれる水。一体どこから来ているのだろうと思っていたら、大御神社の東側にある「櫛の山」が源流だったようです。
今は櫛の山と大御神社を道路が分断しているのでたくさんの水は流れてきませんが、以前はもっと脈々と水が流れていたのだろうと言われます。
これはすなわち龍神の“通り道”を意味します。龍神は“寝床”である櫛の山から、朝な夜な海へと出かけてくる。だから大海へとつながる龍の道の直線上にある岩には、供物を置き龍神に捧げていたのではないかということです。
日向は今日、お昼から雷ごろごろ、龍神様が乱舞しております(;´Д`)

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境内拡張造成工事の後に見つかった神座(さざれ石)のそばで、いつも水がちょろちょろ流れ込み、泥がたまっている場所があったそうです。
新名宮司はこの場所が気になっていて、いつか堀ってみようと思っていましたが、いつも水浸しなので長年そのままになっていました。
しかし平成23年、正月から4月まで雨が一滴も降らず、完全に乾いた時がありました。それで今が機会だと、4月12日から14日の3日間をかけて掘り起こしてみました。
すると中から、長径1m・短径75㎝の卵型の大きな岩が出てきました。下の方に手を突っ込んでみると、どうやら球状になっている。取り出そうにも取り出せない(重さ推定1t)。一体これは何じゃろかい?と。
地質学的には甌穴と言われるものですが、側面には意図的に掘られたではないかと思われる渦巻き状のらせんがあります。
NPO法人「日本巨石文化研究所」の武内一忠氏によれば、丸石は“龍の卵”、貯まった水は“羊水”、すなわち龍神信仰の表れであるとのこと。
これが龍神伝説のはじまり。宮司が2頭の白龍を見た10年後の出来事です。
今は泥が取り除かれ、水の中に龍の玉が眠っていますが、このどこからかしみ出してきて甌穴に注がれる水。一体どこから来ているのだろうと思っていたら、大御神社の東側にある「櫛の山」が源流だったようです。
今は櫛の山と大御神社を道路が分断しているのでたくさんの水は流れてきませんが、以前はもっと脈々と水が流れていたのだろうと言われます。
これはすなわち龍神の“通り道”を意味します。龍神は“寝床”である櫛の山から、朝な夜な海へと出かけてくる。だから大海へとつながる龍の道の直線上にある岩には、供物を置き龍神に捧げていたのではないかということです。
日向は今日、お昼から雷ごろごろ、龍神様が乱舞しております(;´Д`)
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Posted by カワノ at 11:27│Comments(0)
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